結城奈津子さんインタビュー|優しくて温かいつながりの中で、無邪気に生きる
2022年3月に鹿児島県にある屋久島で開催したFINd YOUr COMPASsに参加してくれた“なつこ”こと、結城奈津子さんにインタビューさせてもらいました。(このプログラムでは、みなさんが呼ばれたい名前で呼び合っています。)
インタビューの場面では、人懐っこい笑顔と素直な言葉が印象的で、仲間を信頼し、巻き込む力を持っている方だということがすごく伝わってきました。
そんななつこが大事にしていることは
“優しくて温かいつながりの中で、無邪気に生きる”
シングルマザーとして家族を支えながら、大企業で働いているなつこは、「つながり」の中で生かされているといいます。
そんななつこが、今回、このプログラムに参加するまでに出会った人とのご縁や、出来上がったMy COMPASs【人生の羅針盤】が自分にとって、どんなものになったのか、これからどのように活用していきたいのか、話してくれました。ぜひ、この記事を参考に、自分との向き合い方、人とのカカワリカタのヒントを掴んでみてください。
大きな葛藤の中で仕事と向き合い続ける
——今、どんな仕事をしていますか?
自動車メーカーで、IT部門の人事として、採用、教育、チームや組織を良くするための支援、大学との共同研究やインターンシップなどを担当しています。
——参加してくれた時、ちょうど県庁に出向されていたと思います。そこではどんな仕事をしていましたか?
行政のデジタル化を推進する部署で、行政手続きのオンライン化推進や押印廃止の取り組みを行いました。
——県庁に出向したのは、何かきっかけがありましたか?
実は入社してからずっと、仕事に対して大きな葛藤を抱えていました。出向するまでグローバルのプロジェクトを担当していたのですが、ある時、足元(ローカル)の仕事をしたいと思うようになり、自ら行動を起こしたことをきっかけに偶然が重なり、県庁に出向することになりました。
——それまでにどんな葛藤がありましたか?
1999年に新卒で自動車メーカーに入社して、IT部門に配属されました。私は、英文科出身でコンピュータのことは全く分からなかったのですごく戸惑いました。(当時は、一般職と総合職に分かれていた頃で、一般職は配属希望部署を選択する機会がありませんでした。今では職種別採用になり、配属希望が考慮されています。)
最初に配属されたのは、車の研究開発の情報システムを担当する部署だったのですが、車のこともわからない、コンピュータのことも、プログラミングも全くわからない、興味も持てない、そんな状態だったので、とても苦しかったです。私はこの仕事に向いてない。じゃあ、どんな仕事が向いているのか、興味を持って探求できることは何なのか、そもそも私は何が好きなのだろう、ということを社会人になって早い時点から探求しはじめたと思います。
その後も、自分がこの場所で活躍できるイメージが持てないまま、手探りの中、本部の中でいろいろな部署の仕事を一通り経験しました。プライベートでは、ライフステージの変化もありました。
入社して8年ほどが経ち、ようやく仕事のやり方に自信が持てるようになった頃、第一子を授かりました。さらに夫の仕事の都合で、休職して広島を離れることになりました。その間に第二子も授かり、6年半のブランクを経て復職したのですが、全てがリセットされていて、そこからが本当に大変でした。家庭でもいろいろなことが重なり、離婚することになりました。一人で子ども2人を育てていかなければいけない状況になり、経済的にもっとしっかりしたい、そのためには仕事で活躍しなければいけない。つまり、自分の力がより発揮でき、評価される環境に身を置く必要があると思うようになりました。そして、ある時、行動に移したんです。
自分の行動指針に沿って行動する大切さ
——どんなことを決めて、動き出しましたか?
それまで、グローバルプロジェクトを5年ほど担当していました。英文科出身の私にとって、英語を使って海外を飛び回る仕事をすることが夢だったので、最初のうちはすごく楽しかったです。言葉が通じない、文化も違う人たちと意思疎通できるようになることが増えれば増えるほど楽しくて、大変なことも含めて、やりがいをすごく感じていました。しかし、あるとき突然、グローバルはもういいやと思う瞬間が訪れたんです。
それは、手触り感がないことに気づいてしまったからです。そもそもITの仕事は現物に触れることができません。さらに、グローバルのプロジェクトとなると、自分の暮らしから離れたところで事が起こるし、その規模が大きくなればなるほど、扱う金額も何千万~数億円規模になってきます。やっていくうちに、どんどん手触り感がなくなっていきました。
グローバルで事を進めるには、たくさんの関係者の理解を得ながら、推進していく必要があります。さらに言葉も違う、文化も違う中では、日本語の何倍ものエネルギーが必要でした。自分でも、全力で向き合ってきて、急激にやり切った気持ちが出てきたんです。ちょうど新型コロナウイルス感染症が流行りはじめる頃、オーストラリアに出張に行ったのを最後に、私はローカルの仕事がやりたいと思うようになりました。
手触り感のあることを仕事にし、広島に貢献する
——なぜローカルの仕事をしたいと思うようになりましたか?
2019年ごろ、IoTとデザイン思考を使って地域課題を解決するためのソリューションデザインを学ぶ機会があったのですが、これがとても新鮮で面白かったんです。ちょうどその頃、広島県の伝統工芸品である熊野筆を用いて人を癒すセラピーを提供している友人が、大学と感性工学での共同研究を終えたばかりで、これからどうやって次の段階に進めばよいか一緒に考えてほしいと相談を受けていて、課外活動として携わるようになりました。
そんな流れがあり、この活動を本業でできないか考えはじめときに、ちょうど社内で産学官連携の企画運営部門の人材公募がありました。私は募集要件にマッチしなかったのですが、すぐに上司にアポをとって、自分のこれからのキャリアに対する想いと、その職種に挑戦したいことを伝えました。上司もその気持ちを受け止めてくれ、応援してくれることになりました。
残念ながら、公募には落ちてしまったのですが、不思議なもので、公募の結果がわかる日に上司に呼ばれて、県庁への出向の話をいただきました。これも私が上司に想いを伝えていたからこそ、私にいちばんに話を持ってきてくれたのだと思います。
“感受性を大切にする”
“好奇心に導かれる”
“恐れを見つめる”
“世界を信頼する”
これは、FINd YOUr COMPASsで作った私の行動指針なのですが、振り返ると、私はこれらのことを、以前から自然と大切にして行動してきたのだ思います。
——現在、これまでと全く異なる仕事をしていますが、どんな経緯がありましたか?
出向から戻ったら、何をしたらいいのかわからなくなっていました。そんな時に小布施インキュベーションキャンプ(OIC)というプログラムに出会い、参加しました。(※小布施インキューベーションキャンプとは、こちらを参照ください。)
OICに参加する中で、人やチームが変化していくプロセスを目の当たりにしたのです。そして、自分も変化しました。その後、OICの運営にも携わり、私は「人」と「組織」に関わりたいと思うようになりました。
私自身が、組織で働くなかで、仕事が合わないとか、適性が生かされないとか、機会にめぐまれないとか、いろいろな理由で評価されてこなかった痛みがありました。自信がなく、自己評価も低かったです。だからこそ、自分と同じような痛みや葛藤を抱えている人たちに対して働きかける仕事がしたいと思ったんです。
ここでも、大切にしている行動指針が判断基準になっていると思います。
“仲間と共に生きる”
仕事が合わないと思いながらも、辞めずに働くことができたのは、職場の人間関係がよかったからだと思っています。転職をするでもなく、全社の人事でもなく、元々いた本部に戻って人事をやりたいと思ったのは、半径5mの人たちを笑顔にしたいと思ったからです。
——今の仕事で、どんなことを感じていますか?
出向先から戻って、希望した職場で働きはじめて半年が過ぎました。人と組織にかかわる仕事は幅広く、正解がありません。今は目の前の仕事を覚えながら日々学んでいます。まだまだ成果は出せていませんが、うれしかったのは、上司から「あなたにこの職場に来てもらって本当に助かっている。」と言ってもらえたことですね。
——FINd YOUr COMPASsに参加するきっかけはなんでしたか?
一番の決め手は、場所ですね。屋久島のmoss ocean houseにはいつか行ってみたいと思っていたので。正直、自分のコンパスを作ることはあまり重要ではなかったです(笑)
——このプログラムの魅力は何でしたか?
自然豊かな場所で、スタッフや参加者の皆と生活を共にしながら、お互いのライフストーリーを受け取りあう時間が、とても尊い体験だったと思います。ただ、この時も、自分のライフストーリーを話すことはあまり重要ではなかったです(笑)
今、振り返って思うのは、コンパスを作りたくなかったのだと思います(笑)
実際に、My OCMPASs【人生の羅針盤】を作るプロセスは、苦しかったです。最後まで、伴走してもらいながらも、どこか無理やり言葉にさせられる感がありました。その背景には、言葉にすることに対する恐れがあったと思います。例えば、言葉にしてしまうことで、大切なものがこぼれ落ちてしまう。言葉にしたもの以外の可能性が消えてしまう。言葉にしたことにとらわれて、本来の自分とかけはなれて苦しくなってしまう。そんな風に思い込んでいたから、うやむやにしておいたほうが楽だったんですよね。
とても印象に残っているのは、自分のコンパスがほぼ出来上がった頃、仲間から
「なつこらしくない」
と言われて、号泣したことです。その瞬間、自分の中にすごく癒しが起こった感じがしました。
「そのままのなつこを自分が認めてあげなさい」
と言われている感じがしました。それまで、私は一体誰になろうとしていたのだろうか。そこからは、本当に等身大の、そのままの自分を言葉に表すことができました。そして、できた言葉は、どこからどう切り取っても、私だなって思えるものになりました。
全ての体験に意味がある
——このプロセスを例えるとどんな場だと思いますか?
昔のお産のような場だと思います。大切な人が立ち会ってくれて、自分の中から何かが生まれるのか、自分が生まれ直すのか、ちょっとわからないけど、すごく神聖な時間だったと思います。
生まれた瞬間、祝福と共に立ち会ってもらえた、新しい世界にようこそ、ってみんなが言ってくれているような感じがしました。産みの苦しみは本当にありました。改めて思いますが、これはやはり一人ではできなかったと思います。
——そのほかに何かありましたか?
私にとっては、3泊4日、家を空けることが大きなチャレンジでした。子どもを置いていけないと思い込んでいたからです。しかし、行きたい場所に行きたい、会いたい人に会いたい、という自分の純粋な気持ちも大切にしたい。それで、子どもと話し合って、しっかり準備をして、近くに住む両親にもお願いして、すべてを信頼して、思い切って屋久島に飛び立ちました。
そんな想いで訪れた屋久島では、母親であることや、会社員であることを横に置いて、ただ自分として過ごし、肌で感じた風や、目で見た景色を焼き付け、食べたもの味わい、森や海の匂い、全てを五感で感じていました。
だから、自分のコンパスを見ると、屋久島で仲間と過ごした時間を思い出し、あの時の自分に戻れるような感覚になります。
心の中に屋久島での体験を宿す
——あなたにとって、コンパスってどんなものですか?
自分を表すものであり、立ち返るものであり、アンカーみたいなものだと思います。
Anker Your Nature (心に自然を宿す)というMOSSが大事にしている言葉のように、自分の中にコンパスが宿っているから、どんな場所に行っても、どんな時でも、立ち戻れるのだと思います。
(※Moss Ocean Houseの紹介はこちら)
——コンパスをどんな風に活用していきたいですか?
ライフワークとして取り組みたいことを、自分のコンパスと共に紹介する機会があったのですが、そこで、私が言葉にしたことに対して共感したり、感動してくれる人が結構たくさんいたことに驚きました。
My COMPASs【人生の羅針盤】には、自分がこれまで自然と大切にしてきた価値観と在り方が表現されています。それは、これからも変わらないものだと思っています。だから、自分のことを表現するときに、自分のコンパスも併せて伝えることができたら、より多くの人に何か届くものがあるんじゃないかと思います。また、自分のコンパスを紹介することで、相手の想いややりたいことを受け取るきっかけになっていけばうれしいですね。
そんな風にして、私はこれからも、人と関わりながら
“優しくて温かいつながりの中で、無邪気に生きる”
それを体現していきたいです。
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